人生は楽しく

毎日をなんとなく楽しく過ごせる術を探していきます。

自分との関係を築くこと

TEDのスピーチはいいものが多いですが

今日聞いたこのスピーチ、好きだなあ。

https://www.tedxtokyo.com/translated_talk/the-person-you-really-need-to-marry/?lang=ja

スピーチでは、自分と結婚することについて語られています。

自分と結婚するとは。

「誰かにこんな風に愛してほしい」と思うやり方で、自分自身を愛すること。

結婚式でよく言われる言葉に

健やかなる時も病める時も愛す

という言葉があると思います。

私たちはつい、より良くなること

成功、成長、成熟

そういうものにばかり重きを置き

常にそうあろうとしてしまいますが

人生においてその反対のことに出会うことも避けられない。

失敗すること

前を向けないとき

自分の未熟さを思い知らされる時

そんな時も変わらず自分を許し愛し続けること

良い時も悪い時も自分を癒す術を持っていること

そのことの大事さをこのスピーチは教えてくれます。

そして、どんなときも自分を愛せるようになるということは

自分の周りにいる人もそのまま愛せるようになるということ。

きっと誰もが

自分のことを好きでありたいし

周りの人のことも好きでいたいと願っているはず。

そうならば、

良い時の自分も悪い時の自分も丸ごと誰かに愛してほしいと望むより

まずは自分が自分のことを丸ごと愛すこと。

それができることにより

目の前にいる人のことを優しい眼差しで見られるようになること。

それが自分との結婚なのだとしたら それは素敵なことだなと感じます。

私がどう思われるかでなく、あなたをどう思いやりたいか

評価されたいという思いが先行すると

自分の思いが強くなるもの。

誰からも好かれたい

そう思い始めると

自分がどう思われているか気になるもの。

この状態、危ないのかなと最近思います。

例えば、上司からの評価が欲しいとき。

私はよく、自分がどう見られているかばかり気にして

相手の人格を置き去りにして考えてしまいます。

人と触れ合うのは、相手が分かるからこそ意味があるのだと思います。

相手も血の通った人間だから

機嫌の良い時もあれば悪い時もある。

大事にしていること、

それほど重要じゃないこと

好きなもの

嫌いなこと

身の回りにいる人について

そのどれだけを知ろうとしていただろう。

今晩はそれに思い至り、

自分の未熟な思考にがっくりと来ました。

心が不安や寂しさでいっぱいになると

私を愛してほしいという気持ちでいっぱいになると

自分の見られ方ばかり気になるけれど

そうではなく、相手をどう思えるか。

相手を想像すること、知ろうとすること

それを通して言葉が通じあうこと。

心を理解できる瞬間。

そこに人と触れ合う喜びがあるのだと思います。

愛が欲しいのに、自分で自分に与えられない矛盾

なんとなく、寂しい。

なんだか満たされない。

私はよくそういう気持ちを抱えつつ

そんなことを思うのは甘ったれていると自分を叱ります。

でも、心のどこかにずっと寂しいという声が残っているのを感じています。

要は、「そのままの自分を愛して欲しい」という欲求が未だなくならないのだと思います。

いい年になってきたと分かっているので口にも出さないうちに、最近自覚することはなくなってきただけで。


二十代前半のころも友人とそんな話をしていたような気がします。「ありのままの自分を認めてくれる彼氏がほしいね。」と。



認めて欲しいと思っている。なのに、自分自身はありのままの自分を認めていない。

自分で自分のことを認められないからこそ、

無条件に愛情をくれる人を見つけて安心したいと思っているという心理がはたらいていたのだと思います。


この気持ち、大人になれば解消されると思っていたのだけれど

一向に改善されることはありませんでした。


では、この気持ちとどう向き合えば良いのか?


問題は、愛されたいと思っているくせに

自分は自分を愛していないこと。

そこにあるのだと思います。


だから今までの

誰かに依存したいという気持ちを抑圧する方法では

きっと幾つ年をとっても苦しいままであるような気がします。


解決策は自分にこうあるべき自分を押し付けることでない。

本当は何が欲しかったの?と自分に問いかけ、

愛情が欲しかったのだときちんと気付き

それを恥じることなく、抑圧することなく

それを自分に与えてあげることなのだと思います。


親も人間。時には自分のことで頭がいっぱいになり、

子供の期待する愛情を注げないこともある。

だから多かれ少なかれ、多くの人が親からの「完全な愛情」を注がれることなく大人になったのだと思いなったのだと思います。

よって、年をとっても寂しさはそれなりに残る。


しかし、大人になればその寂しさを癒す愛情を自分に与えることができる。


それなのに、私はそれがわからず

社会的地位を築いて人から賞賛されれば満たされるのか?

ならば努力して仕事しなければとか

結婚して愛してくれるひとができれば満たされるのか?

ならば綺麗でいなければとか

自分に何かを課し、それを達成することでしか満足は得られないと思い込んでいました。


頑張って目標を達成すると、心はさらに高い目標を課す。苦しい。

目標が達成できないと、自分には価値がないと感じられる。より苦しい。

心の中で寂しいと思っている自分は置き去りのまま

どんどん苦しいだけが蓄積されていく。


そのことに気づけたら、もう大丈夫。

これからは、頑張ることで成果のバリアをはるのではなく

ずっと欲しいと思っていた無償の愛情を自分に注ぐことから始めよう。

満たされたと感じるまで、ずっと注ぎ続けよう。

愛に飢えた自分の心の器が満たされた時、

その時になってはじめて、自分の器から溢れた愛を他人に与えることができるのだと思います。


いつか他人を心から思いやり、愛をあげられる人になりたい。

その時まで、まずは自分を無条件に愛してあげたいと思います。

お気に入りの生活スタイル

私は朝型の方が調子がいいので

朝にやりたいことがたくさんあります。

早起きして

日の出とともに走って

シャワーを浴びて

朝ごはんにちゃんと時間をとって

出勤前にカフェに寄って英語の勉強をしたあと

1日1ページとれるお気に入りの手帳に今考えてることを書き出したりして

それでやっと出勤。

っていうのが理想。

今日は全部やれたので満足です。


逆に夜はすぐ眠くなってしまうので、

何かをやろうとするのは思い切って諦めて、

朝に向けての良い準備時間にできたら理想。

外食はなるべく避け

何が食べたいか毎日考えて

簡単でも自炊をする。

9時までにはお風呂に入りスマホを断ち

ストレッチかヨガをして深呼吸をしたら布団に入り

ホットアイマスクをしてアロマを焚いて入眠準備。

ベッドに入ったら眠る直前まで良いことを考えることも忘れずに。

さて、今夜はそんな夜にできるかな?



人生は楽しくと自分に言い聞かせるわけ

【「人生は楽しく」

これは私のモットーです。】


この言葉は、中学卒業のとき

担任の先生に卒業アルバムに寄せ書きをお願いした時にもらった言葉です。


当時はそんなの当たり前じゃないかと思いましたが

20代も後半に差し掛かる今、

その言葉の重さに気付きます。


社会を見てみると、

人生を楽しく生きていない人のなんと多いことか。

自分の自信のなさを人への攻撃に変える人。

不幸自慢が絶えない人。

こんなはずじゃなかったの裏返しに

昔のよかった時のことを延々と話し続ける人。

そしてそんな人たちの在り方が、人ごとではないということ。


社会に出ていると、人の思惑や忙しさや情報の多さに簡単に流され

暗雲が立ち込めるような日々に巻き込まれてしまいます。

そしてそんなつまらない毎日を送ることが不満でありながら

現状に陥らせる環境に文句を言う方が楽なのです。


ある日私は思いました。

恋人が理解してくれないから

部下のことを考えない上司だから

わかってくれる同僚が遠くに行ってしまったから

そうやって周囲を悪く言うことで

今の本意でない状況を作ってしまったのは

自分ではないのだと自分にも話す相手にも言い聞かせているのではないか。

自分の心持ちを変えるよりずっと簡単なその方法をとることで

冴えない毎日を正当化し、

文句を言うことに依存しているのではないか。

このままで良いのだろうか、と。


世界のどこにも桃源郷はないのだと思います。

だからどこへ行っても人間関係のしがらみや、苦しい出来事からは逃れられない。


それでも、世界のどこにも全くの地獄もないのだと思います。

どこにいても必ず、幸せが付いてくるもの。

それがどんなにささやかなものであっても。


私はもう、ただなんとなく周りに流され

そんな自分に言い訳をしたくないのだと思います。


だから、人生は楽しく。

そのモットーを中学の担任からもらうことにします。

そうすることで、きちんと幸せの種を見つけて拾える人になろう。

そして種を拾うことができたら、

ブログに書くことでおすそ分けできたらと思います。